仁川〜アレキサンドリア〜アブミナ〜シーワを経てバハレイヤまで/(2009.1.21-24) | ホームページへ |
仁川からバハレイヤ |
---最終のカイロまで |
仁川国際空港からバハレイヤ・インターナショナル ホットスプリングホテルまで
仁川国際空港
”頭目由紀とその一味”の旅の始まり始まり
・・・・! |
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hotel・ル パサージュ 1月22日8時出発 カイロ空港に隣接しており滑走路に囲まれた場所にあり、到着後短時間でチェックインできるので便利である |
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鳩の家・ハト料理のための飼育小屋 1月22日9時半ごろ エジプトではハト料理が名物になっていますが、材料のハトはこのような小屋で飼育されています、また、飼育小屋はいたるところで見られます |
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ビブリオシカ・アレキサンドリア図書館 1月22日12時ごろ 図書館は、77ヶ国から寄せられた設計デザインの中から選ばれた、ユニークで斬新な図書館で、建物のどこからでも海が見えるように後ろへ傾いた太陽円盤を象っています。 |
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カイト・ベイの要塞 1月22日13時ごろ 北の入江の先端にあるこの要塞はアレキサンドリアの名所の一つです。かつてここには、頂上に ポセイドンの像を持つ高さ125mのファロスの灯台がありました。現在、この要塞はモスクと海洋生物 博物館を合わせ持ち、ここから市街と地中海の素晴しい景色を見ることもできます |
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アブ ミナ(Abu Mena)修道院 アレキサンドリアの西65km、西砂漠の北端に位置し、中世までエジプトのコプト教の中心都市として栄えました。ディオクレティアヌス帝の統治下、聖ミナは殺害されここに埋葬されたそうです |
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アブ ミナ旧修道院(アブミナの聖メナス都市遺跡) 当時の史跡、修道院跡地などが発見されているが、現在は土に埋もれ、2001年には「危機的世界遺産リスト」へ登録されている 、ちょっと道を間違いウロウロ |
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マルサ・マトルーフ/Hotel・クレオパトラ アレキサンドリアの西290km。海岸と平行してのびる自然岩の防波堤によって保護されている、白い砂浜と透明で穏やかな海岸が7kmも続いているのが印象的です。 |
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シーワ・オアシス 1月23日11時ごろ シーワ・オアシスは近年までマルサ・マトルーフの南西300kmにあり、車で行くことができます。「偉大なる砂の海」と呼ばれる大砂漠の端に位置するこのオアシスは、紀元前331年アレキサンダー大王がアモン神の神託を受けた土地としても知られています。 |
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ジェベル・アル・マウタ(死者の丘) 1月23日11時半ごろ 第26王朝の墳墓で壁画や碑文が残っている、旧市街(シャーリ)とアレキサンダーの神託神殿を望むことができる |
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シーワオアシス・ホテルパラダイス シーワでの昼食はホテルでとり、少し休憩後右のようなロバの車(カレッタ)で観光地を 巡りました、右のロバは「ロシナンテ」という名である?? |
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アレキサンダーのアモンの神託神殿 1月23日15時ごろ アモン神殿の神託(予言)は、かのアレキサンダー大王も、エジプトを征服した折りに、このシーワのアモン神殿に詣で、その神託を聞いたといわれています |
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アメン神殿 30王朝ネクタネボ王の時代に建てられたアメン神殿。、オスマントルコ支配時代に建築資材として石材が持ち去られ、ほとんど残っていない |
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クレオパトラの鉱泉 1月23日16時ごろ 現在でも入浴が可能な有名なクレオパトラ鉱泉で、結構温かかったがこの時期泳ぐのには少し抵抗がある、クレオパトラとは何の関係もないらしい |
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古代シャーリの町 1月23日16時半&20時ごろ この要塞のような様相の町、シャーリの建物はカルシフと呼ばれる塩まじりの泥でできています。現在のシーワの町は、古代シャーリの町の遺跡の麓に位置しています。 |
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シーワ湖での朝日 1月24日8時ごろ シーワではいたる所に湖がある、大きなも湖の中を一直線に道が走っており(シーワ湖の地図)その途中で少し太陽は上がっている |
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砂漠(シーワとバハレイヤの途中) シーワとバハレイヤ間が300km近くあり、砂漠の中の道なき道を猛烈に素っ飛んでいく、右のように道は有るようで無いようで真っ直ぐにのびている |
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バハレイヤ・ホットスプリングス ホテル 日本人の奥さんと、ドイツ人の旦那様が経営しておられるホテル、客室の中央に温泉があり、部屋を出るとすぐ入浴できる、かわいい猫もお出迎えしてく れますよ |
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